エッセイ


人が文章を書くとき、多くの場合、そこには読者が想定されている。 「あなたに読んでほしい」と特定の一人を思い浮かべながら記すものの典型は手紙であり、その読者は文字通りの「宛名」である。
この読者の範囲がもう少し広がって複数となり、特定の集団やコミュニティに属する人たちに向けて書く文章もある。
文筆家でもない私がこれまでしたためてきた文章のほとんどは、通常、ここまでの範囲の読者しか想定されていなかった。

ここに掲載した5つの文章は、すべて私が安田火災海上株式会社を退職後、それも齢60を過ぎてからのものだ。それ以前にも、折に触れていくつかの社内向けの文章を多く書いてきたが、ここではそれらとは少し性格の違う5点だけ選ばせていただいた。
これらはすべて、安田火災の関連会社の経営を担いながらも、気持ちとしてはそれ以前よりも生き方に余裕が生じてからの執筆だったと記憶する。そのせいなのか、4点の題材は芸術に係るもの、残る1点は寄る年波に病気に関するものだ。

これらをエッセイと呼ぶのは少しおこがましいかもしれない。自分がそれまでさまざまに読んで知識とし、また自分の足で歩いて経験してきたことを「編集」するという行為を通してしたためたものにすぎないからだ。
もっとも、「編集」とは結局、自分がそれまで得てきた知識や経験を動員し、「編み直す」作業ではないかと思う。
そう考えると、私はこれらの文章を書くたびに、自分の知識と経験を、すなわち自分の人生の一部を、心のなかで繰り返し編み直してきたような気がする。

よわいを重ねてきた私が、かつて記したエッセイの読者となってくれる人とネットワークを通して出会えることを喜びとしたい。そして、読者となってくれる見知らぬあなたに感謝したい。

2015年3月15日 87回目の誕生日に
伊室 一義