【第3章】「成熟」へのステージ

あとがき

孫、ひ孫に読んでもらう日のために

自分の書いた文章をホームページに載せてみても、果たしてどれだけの人が読んでくれるものか、正直なところ、皆目かいもくわからなかった。

ところが、平成27(2015)年1月某日、これを読んだというFさんという女性から電話をいただいたのだ。私には未知の人である。

お話を伺ううちに、驚くべきことが判明した。お電話の向こうのその方は、何と、昭和19(1944)年、「八紘隊」の一員として特攻・散華された、東京陸軍幼年学校第42期の先輩、森本秀郎さんの姪御さん(森本さんの妹さんの娘さん)だった。

Googleで東京陸軍幼年学校と入れて検索したところ、私のMy Way(第1章)が出てきたと言う。そして読み進むうち、森本さんが折に触れて母校東幼を訪ね、私たち後輩に優しく接して下さった件を知ったと言うのである。

その姪御さんは言われた。

「My Wayを読みました。伯父さんのことはできるだけ知りたいと思っていろんな方からお話を聞いてきましたが、図らずもインターネットで拝見してうれしくなりました」

インターネットの威力というか、ホームページの普遍性というか、私はその威力を再認識した。

NHKの番組に「ファミリー・ヒストリー」という番組がある。その登場人物は、いままで知らなかった親や先祖のエピソードを聞いて涙を流す場面が多い。

私にもいずれ、子や孫やひ孫の“先祖の仲間”に入る日がくる。

しかしいま、孫たちに自分や自分の先祖の昔話をするという機会はほとんどない。一方の幼い孫たちも、改まって年寄りの昔話など聞こうとはしないものだ。

そんな彼らも、将来、私を含む先祖の真実を人づてに知って、涙を流すことになるだろうか。

ならば、生きているうちに自分の歩んできた道程をホームページに残しておくことも一興と思い立った。「ファミリー・ヒストリー」を自作するのである。

そうすれば、私が先祖の仲間入りをする前に読んでくれるかもしれない。そのときには、書き漏らしたことについても、孫たちに語って聞かせるチャンスが生まれる可能性もある。

また、私が先祖の仲間入りをしてからでも繰り返し読んでくれればいいなとも思う。そのときには、「こんなお爺ちゃんだったのか」と、改めて涙を流してくれるかもしれない。

わが家の故郷は伊賀の上野である。私や先祖の生まれた土地が芭蕉の生まれた里であることもわかってもらえるのではないか。そして、私がどんな少年時代を送ったか、想像を巡らせてくれるのではないか。そんな期待を描きながらMy Wayを書き綴ってきた。あるいはまた、損害保険に関心のある方がこれを読んで、「そんなことがあったのか」と参考にしてくれることがあるかもしれない。

いろいろな可能性に胸を膨らませながら、このホームページを閉じる幸せを味わっている、そんな今日この頃である。